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【台湾】台湾近代化の礎を築いた六士先生が眠る芝山巌堂(しざんがんどう)

日本が台湾を領有した1895年に、芝山巌と呼ばれた緑豊かな小高い丘の上に、台湾発の日本語教育学校「芝山巌学堂」が設立されました。

 

六士先生とは?

芝山巌学堂で日本語を教えていた6人の教師が「六士先生」と呼ばれています。

6人の名前は、楫取素彦、関口長太郎、中島長吉、桂金太郎、井原順之助、平井数馬です。6人は、日本語の普及のために、まだ未開の地だった台湾に赴いた、志の高い教師でした。

生徒6人から始まった小さな学校は徐々に生徒数を増やし、周辺住民に受け入れられていきます。

終戦時には、台湾の識字率は92.5%まで上がり、現在の経済発展へつながる大きな原動力となりました。

 

1896年1月1日に悲劇が起きる

周辺住民にも受け入れられてきた学校ですが、1895年の暮れになると暴動が頻発し、治安が悪化します。心配した人々は彼らに避難を勧めましたが、教育に殉じる覚悟で拒み、その場に残りました。

1896年1月1日の元旦の拝賀式に出席するため、芝山巌を出た一行に約100人の抗日ゲリラが襲い掛かり、6人の教師は惨殺されました。この事件は「芝山巌学堂事件」として知られています。

犠牲者の一人、楫取道明は長州藩の吉田松陰の甥で、NHK大河ドラマ「花燃ゆ」に登場した楫取素彦の次男です。

 

慰霊碑には、伊藤博文の名前もあります。慰霊碑は、何度も倒されては、その都度住民が立て直していたそうです。

6人の遺骨は近くの芝山巌恵濟宮の住職によって密かに運び出されたそうです。少し奥に入ったところにお墓があります。

 

昔、学堂だった場所です。今は、きれいなお堂になっています。

 

芝山巌学堂、六氏先生之墓の場所

台北の北部にあります。台湾に行かれた際は、ぜひ訪れてみてください。

(Google Map)